(アセンション症状は、クライシス期、魂の闇夜、中年の危機にとても似ていて、
人生をいったんひっくり返される勢いで、
何かが一時的にぐちゃぐちゃになる感覚にとらわれます。)
当時、何が起こっているのか皆目見当がつかなくて、
随分しんどい思いをしたことを思い出します。
今のままでいいわけないのは、わかっているけど、
先が全く見えなくて、かといってどこを目指せばいいのか不明な状態。
軽くプチうつになって、仕事(フラワリー)もやめたかったし、
自分の存在価値も危うくなって、文字通りブログもあんまり書けなかった時期でした。
それでも、これには絶対意味があるはずだ、と探した後にたどり着いたのは、
悟り系、覚醒系の本で、それで自分の道が開けたというか、
道しるべが出来たことも、事実です。
今となっては大きな飛躍の前の闇夜だったのはわかるんですが、
それはメリットばかりじゃなくて、
落とし穴付きでした。
(もうこれって毎度なのかしらね。
落とし穴経由しないと学べないっていうかさ。)
それは、無力感・・・というと簡単すぎるんだけど、
悟り系の本を読み過ぎて、頭でっかちになり、
分かった気になると、襲ってくる産物です。
<こんなことしても、全ては無意味。>
<起こった出来事に意味なんてない。>
<夢も目標も、持つだけ無駄。>
<これらは全部夢だから。>
<現実だと勘違いしているだけ。現実であるのは、夢だと思っているほう。>
という考えが、頭の中を駆け巡ります。
こうなると、生きている感覚が薄くなってしまい、
文字通り無気力に囚われやすくなるし、
今やっていることにあほくささを感じるようになります。
無感動になり、なんでも思考で片付けたがるし、
これは夢だから。これは単なる波だから。これは現実ではないんだから。
という決まり文句で事を収めたくなる。
一定の次元にたどり着いたならば、それも真実なのかもしれないけれど、
山を登った仙人は、いつか地上に降りて、またこの生活に戻らなければなりません。
もう1個のメインのアメブロで、時々私が書くことですが、
【今の私達は、出家信者のように、何かを学ぶために家は出られない。】
【在家しながら、真実と向き合うことを余儀なくされる】
ということを、繰り返して伝えています。
だから、仕事も、家事も育児も、ご近所づきあいも、実家とのやりとりも、
全部同時進行でこなしながら、真実に触れていく作業を、
していかなければならない訳です。
となると、悟りだなんだって、ってことばかりに囚われてしまうと、
そういう仕事や家事や育児や人との付き合いが、
自分の中の比率として低くなってしまい、
全てが無駄。全てがあほくさい。全てがめんどう。
ってことに、なり兼ねません。
今この肉体を持って生きることを放棄は出来ないのです。
さすがにあれから2年も経ったので、
今はもうこの世界(子供達にキーキー言いながら、あくせく生きること)に対して
意義を唱えたりすることはなくなって、
だってやらなきゃならない作業は、どう頑張っても追いかけてくるし、
そこにいちいち思考で意味づけしていると、
ノイローゼになっちゃうもんね(笑
当時悟り系の本読み過ぎたせいで視力も落ちてしまい、
細かい文字がしんどいので、
最近は物事が起こるがままにしています。
真実を求めすぎて、その挙句無気力に囚われるよりも、
真実なんてあっかんべーって言いながら、
今を一生懸命生きているほうが、よっぽどリアルガチだと感じる今日この頃です。
だって、どっちもあるんだもん。
だからなんだ。って話し。
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