深い悲しみとヒーリングの関係

先日、あるお客様からドラゴンヒーリングのご依頼があったのですが、お申込みを受け付ける前に確認したいことがあり、やりとりをしました。


愛する人との別れがあった後、「その人との関係性を教えて下さい。」という内容なのですが、実はこの手の相談が意外と多いです。

そして、このご要望にはある種の落とし穴があるように感じています。


この記事では、そのお客様個人ではなく、その質問を私に送ってくる方全般に感じられるある種の傾向について、記事にします。

あくまで私の主観ですが、ご興味向きの方は、以下どうぞ。


この手のご相談を下さる方は、個々の言い回しの違いはあれど、

「失った相手と私が、どういう関係にあったのか教えて欲しい」という趣旨で私に連絡をしてきます。

失った相手である対象は、芸能人、不倫相手、スピリチュアル的に言うならツインソウルなどです。


過去生で恋人同士であったのかもしれず、それとも家族だったのか、兄弟、姉妹だったのか、唯一無二の友人だったのか、それはわかりません。

そして、この質問をしてくる人たちは、一縷(いちる)の望みをセラピストに託している可能性が高いです。

「どうか過去生でも彼(彼女)と深い関係であったと、(セラピストさんが)言ってくれますように。」です。


しかし、このトリックにセラピストは、一度立ち止まらなければなりません。

私はこの手のご相談が来た時、お客様のご要望のままヒーリング及びリーディングをしたこともあります。

しかし、「それを聞いて本人がどうしたいのか?」がすっぽ抜けていると、たいした内容が出てこないのです。


言われたまま仕事をしても中身が薄いモノしか、お客様に返せない訳です。

(やってて楽しい仕事じゃないので、お断りすることのほうが多いですけどね。)


ある方には、「それであなたはどうしたいのですか?」何度も確認しましたが、「彼(彼女)の事を知りたいのです。」それしか返事を下さらなかった方もいました。

本人が不在なのです。


世の中には、ヒーリングの際、本人不在でも仕事をするセラピストもいますが、私はそういう仕事は受けないようにしています。

無理してやったところで、いい結果が出ないことが多いので、

「自分の人生をどうにかしたいと本気で思ってないなら、お金はムダにしなくていい」

と考えています。

(これもあくまで私の考え方なだけです。)


さて、ここにブッダのお話しを紹介します。

お時間のある方は、ゆっくり読んでから、この記事に戻ってきて下さいね。


→『子を亡くした母へ、ブッダの教え』


かいつまんで話すと、子供を亡くしたお母さんが<特別な薬>さえ手に入れば、我が子が生き返るはずだ、という望みを持って翻弄します。


そこでブッダと出会い、特別な薬がどこで手に入るのか教えてもらうのです。

特別な薬は、白カラシの種だと言われます。


しかし、そこには条件があって<誰も死人を出したことのない家の、白カラシの種>でなければならないのです。

お母さんは数々の家を周りながら、死人を出したことのない家などどこにもないのだ。という事実を悟り、ようやく我が子の死を受け入れることが出来た・・・というお話し。



私達は目の前で起こっている事実があまりにも受け入れがたい時、このお母さんのように現実味を失った夢を見ます。

どこかにこの喪失感をウソだと言ってくれる事実があるのではないか?と。


そして今のご時世になると、この白カラシの種と同じ要素を、セラピストの言葉の中に探すんですね。


それで、あるお客様に

「あなたが<愛する人を失った悲しみを癒したい>という趣旨でヒーリングを申し込んで下さるのなら仕事をお受けします。

しかし、関係性を知ってどうしたいのかという趣旨がないのであれば、その依頼は考え直さなければいけないと感じます。」

とお返事をしました。


悲しみや喪失感を否認するために、スピリチュアルな意味付けをする必要は、本当にあるのでしょうか?

私には、相手との関係性を知ることよりも、他にやることがあると思います。


「その人はもういない。」

「その人は死んだ。」

「その人はもう私を愛していない。」

「その人とはもう会えない。」


物事はシンプルです。


それだけの事実を、スピリチュアルな意味づけでややこしく必要は、ないのではないかと感じています。


そしてこの手の質問をしてくる人は、愛する人を失った悲しみから、生きた心地がないのでしょう。

それも当然のことです。


しかし、グラウンディング(地に足をつけてしっかり人生を生きる力)が弱くなっていますから、うっかり当初の依頼のまま仕事を引き受けると、グラウンディングの弱さを助長しかねないケースもあります。


そして、スピリチュアルな回答を求めて、セラピストの元をジプシーする人もいます。


エンターテイメントとしてセラピストジプシーしたいのなら、そうすることに対してどうのこうのと私が言う必要はありません。


しかし、欲しい答えを求めてセラピストジプシーするなら、<欲しい答えっぽいモノ>を準備されて返されるだけのような気がしてしまうのです。



「あなたはどうしたいのですか?」

「なんのために、ヒーリングを受けて、それでどうなりたいのですか?


やっぱりココがすごく重要なのですね。



愛する人の死や離別からくる喪失感は誰にもあります。

私だって、そういう経験は持っています。


スピリチュアルな答えが見つかれば、いつか腑に落ちるだろうと探し回った時期がありました。


しかしその事実から様々な角度で検証した結果、

<その人はもういない、という事実以上のモノなど、みつからなかった>ということです。



・・・では、愛する人との離別の後どうすればいいのか?

続きは別記事を書きますね。




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【茨城・つくば】 フラワーエッセンス、数秘術を使って<あなたらしいここちよさを見つける癒し空間>を提供しています。

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