悟り系の本を読みすぎると無気力になる件。

2年くらい前に、アセンション症状がひどくて、
グラウンディングしたくても出来ない時期がありました。

(アセンション症状は、クライシス期、魂の闇夜、中年の危機にとても似ていて、

人生をいったんひっくり返される勢いで、

何かが一時的にぐちゃぐちゃになる感覚にとらわれます。)



半年くらい掛かって、地に足着く感覚が戻ってきたのですが。

当時、何が起こっているのか皆目見当がつかなくて、

随分しんどい思いをしたことを思い出します。


今のままでいいわけないのは、わかっているけど、

先が全く見えなくて、かといってどこを目指せばいいのか不明な状態。

軽くプチうつになって、仕事(フラワリー)もやめたかったし、

自分の存在価値も危うくなって、文字通りブログもあんまり書けなかった時期でした。



それでも、これには絶対意味があるはずだ、と探した後にたどり着いたのは、

悟り系、覚醒系の本で、それで自分の道が開けたというか、

道しるべが出来たことも、事実です。


今となっては大きな飛躍の前の闇夜だったのはわかるんですが、

それはメリットばかりじゃなくて、

落とし穴付きでした。

(もうこれって毎度なのかしらね。

落とし穴経由しないと学べないっていうかさ。)


それは、無力感・・・というと簡単すぎるんだけど、

悟り系の本を読み過ぎて、頭でっかちになり、

分かった気になると、襲ってくる産物です。


<こんなことしても、全ては無意味。>

<起こった出来事に意味なんてない。>

<夢も目標も、持つだけ無駄。>

<これらは全部夢だから。>

<現実だと勘違いしているだけ。現実であるのは、夢だと思っているほう。>


という考えが、頭の中を駆け巡ります。



こうなると、生きている感覚が薄くなってしまい、

文字通り無気力に囚われやすくなるし、

今やっていることにあほくささを感じるようになります。


無感動になり、なんでも思考で片付けたがるし、

これは夢だから。これは単なる波だから。これは現実ではないんだから。

という決まり文句で事を収めたくなる。


一定の次元にたどり着いたならば、それも真実なのかもしれないけれど、

山を登った仙人は、いつか地上に降りて、またこの生活に戻らなければなりません。



もう1個のメインのアメブロで、時々私が書くことですが、

【今の私達は、出家信者のように、何かを学ぶために家は出られない。】

【在家しながら、真実と向き合うことを余儀なくされる】

ということを、繰り返して伝えています。


だから、仕事も、家事も育児も、ご近所づきあいも、実家とのやりとりも、

全部同時進行でこなしながら、真実に触れていく作業を、

していかなければならない訳です。



となると、悟りだなんだって、ってことばかりに囚われてしまうと、

そういう仕事や家事や育児や人との付き合いが、

自分の中の比率として低くなってしまい、

全てが無駄。全てがあほくさい。全てがめんどう。

ってことに、なり兼ねません。



今この肉体を持って生きることを放棄は出来ないのです。

さすがにあれから2年も経ったので、

今はもうこの世界(子供達にキーキー言いながら、あくせく生きること)に対して

意義を唱えたりすることはなくなって、

だってやらなきゃならない作業は、どう頑張っても追いかけてくるし、

そこにいちいち思考で意味づけしていると、

ノイローゼになっちゃうもんね(笑



当時悟り系の本読み過ぎたせいで視力も落ちてしまい、

細かい文字がしんどいので、

最近は物事が起こるがままにしています。


真実を求めすぎて、その挙句無気力に囚われるよりも、

真実なんてあっかんべーって言いながら、

今を一生懸命生きているほうが、よっぽどリアルガチだと感じる今日この頃です。



だって、どっちもあるんだもん。

だからなんだ。って話し。




ヒーリングスペース フラワリー

【茨城・つくば】 フラワーエッセンス、数秘術を使って<あなたらしいここちよさを見つける癒し空間>を提供しています。

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